四羽生村の兵士たちの奉天会戦 死闘と凍傷 馬群鄲戦の負傷兵 世界空前の大会戦 奉天会戦の第九師団 三十六連隊の北進内地からの補充兵 生き残った仕合わせ戦死はお気の毒 老兵部隊の敗走 三手紙のなかの兵士の意識と行動 一後方勤務の兵士たち 金に不自由の滞陣生活 戦地は誠に不快 商人浅井喜二の応召 「四十近くの老将軍」中国住民の苦しみ 凱旋直前に病気入院 平和風吹き凱旋待っ後方勤務の土方兵 一一それぞれの戦争体験 二人の一年志願兵 沈黙の勇者ル海軍からの通信川 「輜重輸卒が兵隊ならば」 捕虜一八〇を銃殺 南樺太占領部隊 補助輸卒の戦病死 補助輸卒隊の兵士たち 242
三韓国の抗日義兵闘争鎮圧 義兵闘争鎮圧へ 韓国抑圧兵力へ 戦後の国家意識の高揚広島開助の帰国 二兵士たちの戦場 一旅順攻略めざして出征 第九師団の出征 笠松宗右衛門の薬攻囲軍の出征 下士の借金”前進陣地の攻略 二旅順総攻撃のあいつぐ失敗 冨田惣三郎の遺書 旅順第一回総攻撃の失敗 負傷兵の手紙盟旅順陥落 戦況通信を禁止 三老兵たちの戦場 後備部隊の動員広島又兵衛の応召 後備兵の戦闘第二次後備隊の出征 150 138 義兵との戦闘 土田権次郎の出征 1 10 弥陀の教えに命を任せ 1 116
。フロローグ福井県大野郡羽生村 羽生村の日露戦争 美濃街道 笠松宗右衛門 羽生村と兵士たち 五二九通の軍事郵便 一一兵士の戦歴ー広島開助の場合 一出征軍の兵士として 早くも脚気で入院 一人で五〇通旅順めざして出征 樺太出征樺太通信和 新設師団に編入 一一望郷の海外駐留 韓国駐剳軍へ 樺太から台湾へ“台湾便り 広島開助の交友関係 下士広島の意識 目次 山村の悲劇 笠松宗一